「始めて一海を度る千余里、対馬国に至る。その大官を卑狗といい、副を卑奴毋離という。
居る所絶島、方四百余里ばかり。土地は山険しく、深林多く、道路は禽鹿の小径の如し。
千余戸あり。良田なく、海物を食しい自活し、船に乗りて南北に市糴す。」
三世紀に編纂された魏志倭人伝である。
玄界灘に浮かぶ対馬は、福岡・博多から約140キロ、韓国・釜山から約50キロにあり、古来、大陸とを結ぶ文化、交流、交易の重要の航路の位置にあり、また国防の最前線の国境の島でもある。
戦前、対馬の人々は釜山に買い物や映画を見り行ったり、病院に掛かかりに行ったりもした。
若かりし頃、足げく通った対馬。「韓国が見える島」と謳っていたが、80年代は夏の観光シーズン以外訪れる人もまばらであった。99年に釜山との航路が就航開設され、コロナ前のピーク時には年間約40万人が韓国からの人たちが訪れたという。




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