人や物が自由に行き来して、情報が駆け巡る昨今、住んで見たいと思う場所に住める時代でもある。しかし、飢饉や生活難、あるいは政情不安、または強制され、生まれ故郷を追われて離れて行く人達もいる。極東ロシア領サハリン、中国東北部にある吉林省、そして日本地域に半島に本貫を持つコリアン系の人達が3百万人以上日々生活を送っている。これらの人達たちの大半は、自らの意志、また意志に関わらす、日本統治下の影響を受けて、住み慣れた故国を離れて行った人達とその子孫である。祖先の眠る地の故郷を追われ境を越えて、また海を渡った一世たちは、生活習慣や言葉、宗教さえも異なる異郷の地での暮らしは、想像を絶する困難を虐げられた生活を送り続けて生きて来た。

樺太と呼ばれたサハリンに渡った人達にの中には、半島南部の出身者が多く、玄界灘を越えて、九州から陸路で北上して、津軽海峡、宗谷海峡を渡り、移動の末に辿り着いたのが炭坑等の過酷な労働を強いられた人達であった。凍土の環境にも耐え忍んで、思い望んだ解放の日を迎えるが、帰路の道は閉ざされた。ソビエト政府の配下に入り、昨日までの生活が一転する、言語も習慣も一夜にして変わり途方に暮れる日々を生きて来た。

中国在中の朝鮮族は約200万人、その大半が吉林、黒竜江、遼寧の東北三省で生活を営んでいる。19世紀中頃、度重なる飢饉や凶作に見舞われた辺境地の農民たちが、肥沃な土地を求めて越境して定住する様になった。19世紀末には、6万人程度に過ぎなかった、移住者の人口が増加したのは、植民地化による満州開拓や移住政策により、また政治亡命者などで、解放時には230万人に達していた。のどかな田園が広がる東北地方に、稲作を根付かせたのは朝鮮族で、新中国の設立後、少数民族の一員として生活を送っている。

日本に於ける在日コリアンの歴史も100年を越える。この異郷の地での歳月は、激動、変動の時代でもあった。統治下での生活苦や、戦時下の過酷な体験、解放後の冷戦の狭間で揺れ動いた。一世たちの歩みは、坑夫として働き、被爆を体験し、震災を乗り越えて、歩んできた慟哭の人生を垣間みるのであった。

しかし年々日々を追って老人たちは逝き、その原風景が失われている。本編では、そうした異郷の地で暮らす一世たちを綴った物語である。世代交代が進む中で、定住に意向している今日、また新たな形での移住者も増える中、礎である彼ら彼女らの姿と足跡を忘れることはない。